考えることだけは止めてはいけない、自負

"自覚"

こんばんは。お久しぶりの思考整理記事です。

閑話休題的に写真も貼りながら進めますね。

4,5月と通り過ぎていく中、僕は社会人の2年目に突入しました。

勤めている会社は業界的な風習もあってか少しだけ決算がズレていて、そのタイミングでの担当の変更があったりします。

例にも漏れず、同じ部署内で課が変わり、少し担当先が変わりました。

大阪で平均的な人生の約4分の1を過ごしてきた僕にとって、去年1年間はまったくもって知らない地域の、まったくもって知らない店を担当するという、ある種原初の状態からのスタートでした。

その分、必死になって喰らいつこうとしていた結果、思い入れが強くなるのも当然だったんでしょうか。社会人1年目だからってことも手伝ったんでしょうかね。

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何分メーカーということもあって、流通形式を取っている会社勤めなもんで、最終的なお店の人とも仲良くなれば、間に挟まる代理店の人とも仲良くなったりするんですよね。それがまた自己肯定を増長させたりしました。

東京に来ておおよそが真っ白な僕の知人網が、段々と色付いたり広がったりするんで、そりゃもう楽しい1年間でした。これからきっともっと広がるんでしょうけどね。

僕の上司が、昔全く違うところで働いていた時の知り合いと久しぶりに挨拶をしていたりする姿を見ていると、少し憧れもあったりします。僕は知人が多いことは間違いない誇りだと思っているので。

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そもそもなんでそんな思考に陥っているかと言うと、僕の元々があるのかもしれません。僕自身、割と客観視することを得意としているので自分のことを鑑みることは多くあるんですが、根幹として、自己肯定がものすごく低いネガティブであるということは間違いありません。

結構色々な人と関わっていると、気丈な感じでよく喋る野郎であるように映ることが多々ありますが、一言一言を文章化すると、全て否定形・マイナス思考での返しであることが多いんです。笑いというベクトルでごまかしているんですけども。

鶏が先か卵が先か、的な話ではないですが、ネガティブであるが故なのか、自分に自信がひたすらにありません。内面に関しては『このままでは良くない』と感じた幾日から上昇方向へ変えようと努力した(つもり)ではあるんですが、正直外見に関していつまで経っても自信を持てないでいます。整形をしろ、と言われるかも知れませんが、してしまえば最後、一生その事実を背負って生きるのに耐えられる気がしません。

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つまり、薄っぺらい文言の『中身で勝負してる』っていうジョークではなく、『僕には中身で勝負するしかカードが無い』っていう状態ですね。そこでタイトルに戻ります。

僕は外見イケメンの豪速球のストレートを放れるピッチャーではないです。考えて、考えることだけが生きていく上で最大の武器になりうるんです。スマートな働き方をしている人を見ると、平気で憧れたりします。

人間として良くないことは、それを知らぬ人にも求めてしまう、ということです。おおっぴら過ぎる言い方かもしれませんが、”考えることを放棄した”ということは、=”人間として生きることを諦めた”と言っても過言ではないと思っています。過言ですが。

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担当が変わり、色んな人と改めて接す機会が増えているんですが、先述のことだけは忘れずに生きたいと思っています。というのも、僕自身人生を謳歌することが最大の目標です。大っぴらに言えないですけど、友人の分も勝手に背負っていきますし、その分残業とかいう本当に無駄な行為は無くしたいし、風潮も真っ向から嫌いたい。その態度が昇進に響くのであれば、普通に辞めたい。僕には向いていない。と言いつつも今はそんな状態じゃないんで大丈夫ですが。

早く帰って何をするのかなんてことは次に考えれば良いんです。だって、考えることだけは止めていないから。

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