好きな人がいた。彼女はどうやらオタク気質らしく、好きな音楽は何?と聞いた。ボカロだそうだ。ニコニコ動画でよく見かけるらしい。何も知らない中学生、好きな子に好かれたい中学生。帰ってすぐニコニコ動画に登録した。
まだ勃興して間もないその海は、稼ごうなんて思っていない、ただただある誰かが作ったものが産み落とされていくところだった。ある人は適当な動画を、ある人はかっこいい動画を、ある人は、ただひたすら美しいものを。
正直、最初ボーカロイドは耳に合わなかったと思っていた。好きな人が聞いている、ただその話題のためだけに聞いていた。ある日見かけた、一本の動画。身の回りのもので、叩いてみたという動画。その時はボールペンパーカッション、とでもいえる動画だった。ボカロの曲に乗せて、ボールペンで強弱高低をつけて。そんな動画は、どうでもよかった。音楽にしか意識が向かなかったから。
昔から、音楽に詞を求めずにいて、曲の流れと、リズムと、歌声と。それだけでよかった。J-POPにその刺激は足りず、ダンスミュージックなんかも聞いたりした。ゲームのBGMもよく聞いた。それくらい、音楽にとって“曲”が僕にとって大事だった。
その時聞いた音楽は、何を言っているかがわからなかったくらい早口で、機械的で。でもそれが心地よくて、癖になって。違う曲はないか、違う曲は、…すっかり聞くようになった。アルバムを出しているらしい。アンハッピーリフレイン。今でも大切なアルバム。
それから数年、僕はバイトをするようになった。ドーナツ屋さん、なんて仕様もないバイト先でも、少しずつ馴染んでいった、楽しい日だった。ある日、フォローしていた彼が呟いた。「バンドをしています」。聞かなくてもわかる、聞いたら虜になることを。
いてもたってもいられなくなった。あんまりそういった気の興味はないであろう先輩に、無理くり聞かせた。「1曲目と2曲目のつながりがかっこいいんです!」快く聴いてくれた先輩とは、引くほどライブに行った。1回目のライブ、ロックバンドのライブなんて行ったことない僕たちは、2月の寒い日、厚着をしていった。ラジオ局主催の特別観覧に、9番で選ばれた。最前で見た、最初のライブ。あぁ、厚着ってするもんじゃないんだな、と。Tシャツって、だから売ってるんだな、と。
ライブ終わり、奇しくも本人たちがホールにいる機会を設けてくれた。特別観覧だからこその気配りだ。ヒトリエとしては短くても、すっかり立派な虜の僕は、写真を撮ってもらうこと、サインをしてもらうこと、握手をしてもらうこと。色々強請った。快く受け入れてくれた。彼の手は、ゴツゴツしていた。これくらいしっかりした手じゃないと、あの音は鳴らせないんだなぁ、あの曲は作れないんだなぁと、初めてしっかり実感した。
大学の4年間は、バイトして、稼いだお金で趣味に没頭した。ライブもその一つだった。広島なんかに一人で遠征して。カメラも買った。カメラにハマり、趣味にし、曲にしていたからだ。完全に影響され、僕もカメラを買った。今でも続いている。とにかく影響された。メガネも外さなかった。どこか、近づけている気がしたから。
大学ではサークルに入らなかった。理由は、友達が多く増えたから、それでいいな、と思ったから。ライブに行けば友達に会える、大学でも友達がいる、高校の友達もいる。僕は一人じゃない、ただただ共有できる人がたくさんいるから。
就職を境に、東京に越してきた。不安はなかった、音楽があるし、音楽で繋がった友達もいるから。辛い時は音楽を聴いた。歌詞を、見るようになっていた。誰かが、誰かへ、あるいは自分へ向けたメッセージだと。手紙だと。言葉だと。命だと。思えるようになったから。
もがき苦しみ、生み出した音楽はアルバムを出すごとに最高を更新していく。“毎度言ってるけど、今回が最高傑作です”なんて、純真たる目で言えるだろうか。言えることを自分はしているだろうか。適当に、すごしていないだろうか。ただ、確実に最高傑作を更新していた。確実に地力がついた、すごいバンドになるんだと思っていた。音楽へ対する執着・アイデア・工夫・能力。人を巻き込むことを覚えた、その鬼才。何もかもが全て、憧れていた。
どうしようもない話ばかりでほっつき合う人たちを、ただただ心の中で侮蔑していた。時間が惜しい、ずっと見ていたい。ずっと聴いて、新しいことに気づきたい。それを自分の中に昇華したい。昇華、できたのかなぁ。
「自分の頭の中で、女の子が踊っている。それを、表現している。」初期の作曲の形は、正直理解が出来なかった。ただ、それが天才だと思っていた。3枚目のアルバムを出す時、その手法をやめ、もがく道を選んだ。同時に、メンバーに頼ることも覚えていった。自分に足りないものを認知し、人に頼るという至極恥ずかしいことを、恥ずかしげもなく、苦しんで頼った。”わからないことばかりでグチャグチャになりそうだ。“泥臭い人間を見たのは、長く追っていて初めてだった。
任せっきりだったMCを、自分でやりだしたのはいつ頃だったか。しっかり話すもんだから、うっぷんでも溜まっていたのかなぁなんてニヤッとしながら聴いててしまった。でもその中途半端さが間違いで、襟を正されるなんて何回あっただろうか。命からがら、言葉を絞り出す姿ほど美しいと、初めて思った。適当に生きている奴らを蔑んでしまうほど。
ヒトリエのライブが終わった後、しょっちゅう「生きる糧」だなんて言ってた。今、ヒトリエがなくなったわけではないけど、生きる糧を得ることが困難になってしまった。ただ、あらたな目標、ではないが、31歳の彼を越えたい。全国に名を轟かせ、人間性として、まったく同じ歳になった時に、何をしているのか。太く、強く。それの繰り返し。
文章を書いたら、飲み込めるかななんて思ったけど、まったくもって味がしないな。
もらったものは本当に大きく、今の自分の構築要素の80%を占めてると言っても過言ではないです。好きなものを好きと言う。至極当然のことを、当然のようにやる。人間だから。大切なものを、しっかりと握りしめて、生きていきます。
ありがとう、リーダー、おやすみなさい、wowakaさん。ファンでいて、本当に良かったです。もらった力で、明るい未来を作ります。
ご冥福をお祈りいたします。