昨年の今頃でしょうか。SNSを少し賑わせた(個人的主観)つぶやきがありました。
もしかして共感性羞恥 pic.twitter.com/KUwWQ5hJVn
— よしだただひろ (@yoshidatadahiro) 2018年5月4日
いわゆる、自分は体験していないのにもかかわらず、映像などを見ていることで自分が同じ経験をしているように陥り、見てられなくなるという”共感性羞恥”。
こういうのって自分でいうとなかなか痛々しいですが、僕はこのつぶやきを見てすごくスッキリしました。なぜなら自分がまさしくそれで、それをなんと呼ぶかモヤモヤしていたから。
でも、もっと言うと、共感性〇〇ってもっとあるんじゃないのかなぁと思うことがよくあるので(あとまぁちょっと時間もできたので)書いとこうかなと思います。
共感性羞恥。
他人が恥をかく、叱責される、失笑を受ける、非難される・・・・・などの光景を実際に、あるいはドラマ、マンガなどを通じてみたときに、まるで自分がそれらを受けているように動揺、委縮し羞恥心を感じる現象。
ということで、例えば…が出てきはしないですが『今から恥ずかしいことになる』シーンや、『大人数の前でのスベり』なんかもそうです。
”その人が恥ずかしい状況になっている”ことをさも自分のように感じるほど心の居場所がなくなることです。
後半は僕の気持ちをそのまま書いています。本当にね、僕の共感性結構ひどいと思う。自分でいいたかないけど。
上記の理由からドラマと映画をほぼ見ません。これが本当に大きい。
恥をかく人を見ながらなんてとてもじゃないけど話が入ってこないんですよね。
最近見たドラマシリーズは勧善懲悪の池井戸潤作品系統です。あれは誰も恥をかかないから。(どちらかというと裏切りの方が強い)
で、共感性疾患ってある?
さて話はここから。共感性羞恥に関してはツイッターでバズるほど認知されていますが、最近僕が思ったのは『-・羞恥』以外にありませんかこれ?
なぜか?
知人が風邪をひいてしまったことを聞いた今、絶賛体調不良だからです。
という意味で聴きました。共感性だけで自分の体調さえも変動することってあるんでしょうか。
他にも想像してみましたけど、共感性憤怒とか、共感性色欲とか(なぜか七つの大罪モデル)。
要するに、目の前にいる相手と同じ感覚を勝手に体感してしまうということです。
でも、まぁ僕にもカバーできる範囲とカバーできないものがあるなぁ、とこのブログを書きながら思いました。
というのも、”自業自得”にはなんの琴線にも触れないからです。
”お酒を飲みすぎてへべれけになった人が戻してしまったりしているシーン”。
これに対しては正直そこまで何も感じません。たぶん、理由が明確だから。
でも、突発的に出てくる”主人公は頑張ったのに少しズレていて赤っ恥をかくシーン”なんてのがめっちゃくちゃにキツイ。
空回り、努力したのに、系統は最近多いもんで。
調べてると出てきた『共感性が高い人の特徴』
さて、ここまでで言えば僕が感じてきた不便だなぁと思ったことばかりでしたが。
調べてると嬉しいようなことも出てきました。
”ストレングスファインダー”という、簡単に言えば性格テストみたいなものがあるんですけども。
その結果ページに載っていたのが下記のこちら。
・本能的に、ほぼ全ての人に対して「慈しみの感情」を持って接する。
・他者から「他人のその時々の感情や思考、経験を理解している人」という印象を持たれる。
・「感情を察知する能力」や「人の考えに傾聴する能力」によって評価されることが多い。
・”Still Waters run deep(とどまる水は深くしみ込む=物静かな人は思慮深い)”という諺を体現している。
・他者から「真面目で品位のある人」という印象を受けやすい。
・【共感性】から生じる「鋭く明瞭な視点」が、特定の人にとっての大きな利益となりうる。
・他者が心の奥底に抱えている思考や感情に対し、明確な表現を与える能力に長ける。
・他者が「あなたに話を聞いてもらいたがっていること」を知ると嬉しくなる。
・生まれつき、「出しゃばり」や「攻撃的」、「支配的」な人から距離をとる傾向がある。それは、彼らの言葉や非言語的な態度から不快感を覚えることが原因であることが多い。
・何か特別な事態が起こったときに「その時に自身がどう感じていたのか」を省みる傾向がある。
・頭(論理)と心(感情)で考えるようにすると、よりよい結果を生めるようになることが多い。
ね、結構イイこと書いてるよね。
まぁ体調が悪いことをいいことに、僕の日頃の行いを振り返ってみたんですけど。
下から3つ目の
・生まれつき、「出しゃばり」や「攻撃的」、「支配的」な人から距離をとる傾向がある。それは、彼らの言葉や非言語的な態度から不快感を覚えることが原因であることが多い。
これは本当に多くて。
小学校のときに人生で唯一ささいなケンカ(?)をしたことがあったんですね、ほんとものの30秒位で終わった手の出し合い。
終わった後どこか傷がついたわけでもなく、感情がおかしくなった気がして泣いてしまったんです。
今でもあれは何だったんだろうと思うほど深く残っていますが、もしかしたらこれが関係しているのかもしれません。
そして、わかったこと
調べていくうちに”おそらく”自分が共感性が高めの人間であるということがわかったんですが、その中で最近一番腑に落ちたことがありました。
それが
「『なんでもいい』って言っている自分が、詭弁や嘘を抜いて『本当になんでもいい』と思っていること。」
ということ。
いやだいぶ落ち着いて2,3回書き直したんですけどよくわかんないですよね。
僕は口癖のように、「なんでもいいよ」ということが多いんですが、言葉通りの意味を捉えられると「あー、適当だなぁ」と思われることが多くあります。
まぁ文面で捉えるとそうなんですけどね。
でも僕本当にそれを思っていまして。
”その人が楽しんでいること”が”一番楽しんでいる”という、なんとも面倒な性格。
ただ、本当に正直NGジャンルが基本的にないので、
あなたが楽しみたいことを一緒にしたい。
それが僕の希望です。
…と、いう。腑に落ちたので進めてみた話。